ペルージャに住んでたら中田英寿が移籍してきた!!(驚)

日本が初出場したフランスW杯以降、イタリアでも中田の移籍は折に触れて取りあげられていました。
多くのチームの名前が紙面に載りましたが、セリエA昇格プレイオフをPK戦の末に勝ち抜くという、これ以上ないぐらいギリギリでセリエA昇格を決めたペルージャの名前なんてそこにはもちろんありませんでした。
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(画像はペルージャポイントで売ってた額付きで売ってた写真です)
そしてあの運命の日、僕はいつものように大学に行く前に売店でLa Gazzetta dello sport(以下ガゼッタ)を買って教室に入りました。
普段なら休み時間に紙面を開くのですが、その日はなぜか夕方までカバンの中に入れたままで家に着きました。
家でパラパラとガゼッタをめくっていると、「中田がペルージャと握手した」の見出しが!!!
思わずペルージャ在住日本人の友人達に、「見た!? 見た!?」と電話しまくり、数日後には地元紙に「早くも中田マニアがペルージャに上陸!」という見出しでずっと前からペルージャに住んでる日本人が町を歩いていたところを写真に撮って記事にし(笑)、町には突然日本のTV局が現れるようになり、僕も2回ほどインタビュー受けました。
日本でオンエアされたかどうかはわからないのですが。
それからというもの、人口20万人にも満たない小さな町にホームゲームの度に何百人もの日本人が訪れるようになりました。
ローマやミラノのような大都市に日本人が多くいることはそれほど不思議ではないかもしれませんが、ペルージャでのあの光景はある意味異様でした。
今になって振り返ってみると、ずっと応援していた選手が自分が住んでた町にやってきたというのはなんと幸せなことだったんだろう、と思います。
どこか当たり前のように感じている部分はあったし、貧乏学生だったためにアウェイはほぼ行けないし試験の前日はホームのゲームでも自重したりしてましたけど、なんとかしてもっと行ってればな、と。(苦笑)
そんな中田英寿について思い出すのは、ペルージャの人達が彼について語るとき「ナカタは本物のジョカトーレだ」といつも言っていたことです。
ローマに移籍してからももちろん、2009年に僕が久しぶりにペルージャを訪れたときも「ナカタはどうしてる?」と近況を聞かれた後、「彼は本物のジョカトーレだった。」と何度も耳にした懐かしい言葉を言われました。
多くのペルージャの人達に中田が愛されたのは、彼が結果を出したことはもちろん、試合や練習で見せた姿勢もあったのではないかと思います。
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いよいよ今週末、新しい挑戦の舞台が幕を開けます。
サッカー選手として飛躍するのはもちろん、町の人達に愛されいつまでも語り続けられる、そんな存在になってほしいと思います。
キミは君らしく、Forza !!!!!!!

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