中田英寿、20年後のペルージャに帰省

元サッカー日本代表、中田英寿がペルージャへの移籍から20年を機に、彼がプレーしたペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィレンツェを1週間で旅する様子がSNSで流れてきまして、ペルージャのスタジアムを訪れてインタビューに応じるヒデがとても楽しそうで、元ペルージャ住民にしてペルージャを第2の故郷だと思っている僕は10分ほどの動画を何回もリピートしては幸せな気分に包まれています。(笑)
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あえて旅ではなく帰省としたのは、ペルージャの人々がヒデのことを語るとき、なんか息子のことを語るような雰囲気で話すのを何度も聞いたからです。
で、せっかくの動画をイタリア語わからない方にも楽しんでもらえたらと思い、錆びついたイタリア語で頑張って訳してみました。
長いですが、少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
【翻訳についての注意です!!】
・僕の錆びついたイタリア語です。何度も聞き直して辞書引いて頑張りましたが、たぶん間違ってる箇所もあると思います。
 そこは温かい目で見ていただけたらと思います。
・なるべく直訳するかそれともある程度意訳するかで迷ったのですが、読みやすくするために後者を選びました。
 もしかしたら細かいところでヒデや質問者の意図を僕が勘違いしている部分があるかもしれませんが、大筋は合ってると思いますのでこちらも温かい目で見ていただけたら幸いです。
・会話鍵カッコ前の中はヒデの言葉、伊はイタリア人の質問です。
 ときどき出てくる()カッコ内は僕の心の声です。状況説明等、読み進めていく中でお役に立てればと思います。
・楽天ブログ内では外部リンク貼れませんので、Nakata,1998-2018 tornare a Perugia e come tornare a casa mia をコピペしてYOUで始まる某動画サイトで検索してくださいませ。
 お手数をお掛けいたしますがどうぞよろしくお願いいたします。
 (※Perugia の後の e は本来 e の上に点がついているのですが、これも弾かれてしまいました。たぶん大丈夫だと思いますが、念のため補足です)
・出来れば動画見ながら読んでいただければと思います。
 ヒデが本当に楽しそうなんです。
ではでは、始めます。
中「チャオ、元気?」
伊『元気だよ』
伊『ペルージャ へ ヨウコソ』(←日本語で)
中「ありがとう」
伊『チャオ、お帰りなさい』
中「どうもありがとう」
(ここからスタジアム内部をエライ人?が案内。ヒデがいた当時とはかなり変わっている模様)
伊『とても大きいとは言えないけど、素晴らしい絵があるんだ。私達のクラブの伝説の人物が描かれた絵が。たぶんキミが知っている人もいるはずだよ。もちろんヒデトシも・・・・見つからないけど、絶対にあるはず。』
(ヒデが指差した方を見ながら)
伊『そう、ブリーザス。ラヴァネッリ、セルセ コズミ、カスタニェル・・・ほらここにヒデが!!』
伊「案内を続けよう」
伊『ここにサインして。20年越しの2つのサイン!』
中「これ、20年前に僕がサインしたの?」
伊『20年前』
中「ここ?」
伊『2018年6月2日、20年後』
(おそらくサインした写真を見ながら)
伊『キミは覚えてる?このピッチにいたんだよ』
中「ノー、覚えてないよ。若いね僕。(笑)」
伊『キミはまだペルジーノ(ペルージャ人)かい?ジーモ?』
中「な、え!? ジーモ???」
(ジーモはペルージャの方言。ペルージャ時代、最初の会見でも出てきた記憶があり、質問者の方も覚えてるか試したんだと思います)
伊『ジーモ=アンディアーモ(標準語でLet’s go)』
中「えぇぇ・・・(ヒデもここで思い出した風) ローマの方言の方がより簡単だね。ナーモ」
伊『ペルージャに帰ってきて、個人的な感情の高ぶりはありますか?』
中「ペルージャに帰ってくることは、日本の自分の家に帰ることと同じ感覚です。こんな風にスタジアムに入れてくれてみんなで歓迎してくれて・・・僕がプレーしていたときにもなかったことじゃない??(笑)」
中「冗談だよ。ペルージャには感謝してるし、感情の高ぶりはあるよ。」
伊『ヒデ、君はセリエAデビュー戦でインザーギと戦い、その後ネスタとも戦った。彼らが明日の夜対戦するのは知っているかい?』
(この翌日、ペルージャの監督を務めるネスタとヴェネツィアの監督を務めるインザーギの元イタリア代表2人がセリエA昇格プレイオフを戦う状況でした。結果、ペルージャが負けてセリエA昇格ならず。僕も悲しいです)
中「知ってます。」
伊『DFとしてのネスタの思い出は?』
中「ネスタは好きじゃなかった、なぜならとても強くて、僕に気持ち良くプレーさせてくれなかったからね。(笑) 明日は・・・・なんて言うんだっけ??」
(とここでイタリア語に詰まる。僕「ヒデでもイタリア語に詰まるのか!?」と驚く・笑)
伊『親近感?祈念??』
中「僕にとってペルージャはセリエAにいるべきクラブで、なぜなら僕がプレーしていた頃はセリエAで、セリエBのペルージャを知らないし、考えることもできない。」
伊『僕たちもそう願いたいね。』
伊『今年の試合を見たことある?』
中「率直に言って、僕は現役の頃もそうなんだけどサッカーの試合をほとんど見ないんだ。ペルージャでプレーしてたときも、ほとんど見てなかったよ。」
(ヒデにとってサッカーは子供の頃からプレーするもので見るものではなかったそうですね。そして当時のイタリアは地上波でTV中継するとスタジアムに行く人が減るからとかで、セリエAは地上波放送されてなかったです。代表戦とCL、UEFAカップは見れましたけど。で、衛星放送が少しずつ浸透し始めた頃です。)
伊『明日(のペルージャとヴェネツィアの試合)はどうするの?』
中「わからない。けど、試してみよう。」(←見る気ないだろ・笑)
伊『キミはペルージャで13ゴールを決めたよね。最初の1年で10ゴール、2年目ローマに移籍するまでのリーグ戦で2ゴール、同じく2年目のカップ戦で1ゴール。キミにとって、1番美しいゴール、1番重要だったゴールはどれですか?』
伊『オーバーヘッド』
(↑別のイタリア人がヒデが答える前に発言・笑 1年目のピアチェンツァ戦で決めたオーバーヘッドです)
中「これはどれか1つを挙げることはできない。僕にとってはすべてのゴールが重要で、デビュー戦のユーヴェ相手のゴールもオーバーヘッドも挙げることはできない。ゴールはどんなときも重要だけど、正直に言って僕にとってゴールはそれほど重要ではない。僕にとってより重要なのは、どのようにプレーしたかということであり、すべての経験です。」
伊『1999年10月13日、35分に素晴らしいゴールを決めた。相手はテルナーナ、コッパイタリア1回戦で勝利に導くゴールだった。』
中「あなた達は僕より詳しいから。(笑) 僕は覚えてないな。あなた達は知ってるけど、僕は覚えていない。何も覚えてない訳じゃなくて、ゴールを決めたのは覚えてるけど、ゴールを決めた時間までは覚えてないよ。(笑)」
伊『今は何をしているの?』
中「サッカーに関わる仕事はあまりしてなくて・・・ この話をするとみんな“ん?”って不思議がるんだけど、今は職人や農家の人達、日本酒を作る人達と一緒に仕事をしているんだ。北から南まで日本を旅して日本の文化を学ぶことはとても好きで、サッカーをやっていた頃と同じ情熱や喜びを感じている。知らない世界の人達を理解するのは難しいけど、でも楽しいよ。」
伊『どうしてイタリアに来ることにしたの?』
中「20年後のこの旅を決めたのは、僕がイタリアに来たのは98年で、それから全てのスタッフは僕のために働いてくれて、だからあの頃僕が過ごした町を1週間で一緒にまわる旅をすることを考えたんだ。」
伊『誰かと会う予定・・・あなたと一緒にプレーした人とか、誰かと約束はしているの?』
中「はい。ペルージャでは今晩夕食の約束をしているし、明日も予定はあります。すべての町で同じ様な感じです。」
伊『98年と18年、20年経って何が変わった?』
中「見てわかるとおり・・・ちょっと年を取った。(笑) 人は日々、変化する。毎日、変化して、成長する。人として変わった部分はあるけど、内面は同じだよ。」
伊『外見も変わってないよ。』
伊『ペルージャは、ペルージャでの経験は、ペルージャの町は、キミに何をもたらした?』
中「ペルージャは、僕がサッカー選手として成し遂げたことは・・・・・ ペルージャの町なくしては出来なかった。この町の空気、人々、言葉、食事、なに1つ欠けることはできなくて、もし欠けてたなら僕がここで成し遂げたことは出来なかった。だから、日本を離れてからの僕のキャリアの中で、ペルージャはもっとも大切な経験です。」
伊『日本代表がW杯でなにができる?』
中「さっきも言ったように、僕はサッカーを追っていない。サッカーの試合をほとんど見ない。同じ質問を日本でもされるんだけど、たぶん1試合も見ないよ、と答えてる。だから、何も言うことはできない。でも、日本代表が最高のプレーをして・・・98年は初めてW杯に出場した大会で、20年経って前に進む必要があり、次のステップに進んでほしいと思う。だから日本代表には最高のプレーをしてもらって、ベスト16、ベスト8に進んでほしいと願います。」
伊『思い出に残る食品や料理は?』
中「それはペルージャでってこと?」
伊『イタリア全体で』
中「僕はペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィレンツェにいたから、1つを挙げるのは・・・」
(と話してる途中で、別のイタリア人のぶっこみ)
伊『キミは相変わらず痩せてるね』
中「痩せてるのは、食べたいものを食べてやりたいことをやってるからで、重要なのは食べ過ぎないこと。違うかな? でもイタリアにいてこの体型を維持するのは難しいね。1週間の旅が終わった頃にどうなってるか見てみよう。」
(たしかに、イタリアは美味しいものが多すぎて太ってしまいます。貧乏学生で痩せていった僕みたいな例もありますが・笑)
伊『いくつかの名前、ガウッチ、カスタニェール、コズミについて』
中「今どうしてるか知らないから、何も答えようがないよ。」
伊『ガウッチは・・・』
中「今、なにしてるか知らないから、なにかを言うのは難しいよ」
伊『OK』
ここで動画は切れています。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
あの日、たまたま自分が住んでたペルージャに、中田英寿が来ることを知ったときの興奮は今も鮮明に思い出せます。
今、海外でがんばっている日本人選手は、辛いこと厳しいこといろいろあると思いますが、プレーヤーとして成功するだけじゃなく、その町に愛される選手になってほしいと願います。
日本から数千km離れたところに「お帰りなさい」って迎えてくれる人達がいるのって、とても素敵なことだと思うんです。
この動画を見て、僕も久しぶりにペルージャに帰りたくなりました。
頑張って働きます!!(笑)

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